蕨市観光協会
ホーム
中央観光スポット
中央マップ
蕨歴史資料館

蕨市立歴史民俗資料館

 蕨宿は、「蕨宿伝馬屋敷帰住願書」などから、中山道で江戸から二番目の宿場として、慶長17年(1612)ごろ成立したといわれています。
 蕨宿は、宿場機能を持つ町部とそのまわりの農村部から成り、天保14年(1843)の人口は2223人、家数は430軒ありました。町部の町並みは、南北10町(約1090m)あり、そのまわりを用水堀で囲み、町部の主要な出入口2か所には木戸が置かれました。また、町部には、本陣2軒・脇本陣1軒・問屋場と高札場が1か所ずつあり、庶民が泊まれた旅籠や休憩のできた茶屋、さらには穀物屋・豆腐屋・髪結などさまざまな職業の人々が暮らしていました。

蕨市中央5-17-22

蕨本陣跡

蕨本陣跡

 蕨宿の本陣は、加兵衛家と五郎兵衛家の2軒が代々勤めていました。本陣は、玄関・書院・上段の間・門などがあり、大名や公家などの休泊所であり、庶民は利用できませんでした。大名が休泊する時は、到着日を知らせ、関札を門前等に掲げ、提灯を吊し、幕を張って一行を迎えました。

蕨市中央5-17

和楽備神社

和楽備神社 わらびじんじゃ

 社伝によれば、室町時代に蕨を所領とした足利将軍家の一族、渋川氏が蕨城の守り神として八幡神を勧請したのが、始まりです。
 明治44年、町内の18社を「八幡社」に合祀して「和楽備神社」と改称しています。現社殿は、平成9年に再建されたものです。

蕨市中央4-20

蕨城跡

蕨城跡 わらびじょうあと

 蕨城は、南北朝時代に渋川氏が館を構えたのに始まり、戦国時代の永禄10年(1567)、上総の国三舟山合戦での渋川氏の戦死にともない廃されたと言われています。江戸時代の始めには、鷹狩り用の休憩地の「御殿」として蕨城の跡地が利用されました。

蕨市中央4-21

渋川公墓

渋川公墓 しぶかわこうぼ

 宝樹院にあるこの石碑は、永禄10年(1567)に上総国三舟山合戦で敗死した渋川公と、その死を悲しみ群馬県の榛名湖に入水した夫人とを祀ったものです。
 渋川公の250年忌を期し文化13年(1816)に、渋川氏家臣の子孫たちが造立したものです。

蕨市中央2-10 宝樹院

長泉院梵鐘

長泉院梵鐘 ちょうせんいんぼんしょう

 長泉院にあるこの鐘は、宝暦8年(1758)に円清を中心とする万人講の人々により造立されたものです。乳のかわりに梵字が鋳出され、撞座が4つあるなどの特色があり、音色の良さから、「おしゃみの鐘」として人々に親しまれています。

蕨市中央5-13