11月に起きた出来事です


2002年11月26日

市議会に「有事法制の廃案を求める陳情書」を提出

「有事関連三法案」の廃案を求める陳情書
陳情趣旨

 政府は、2002年10月18日召集された第155回臨時国会に、先の第154通常国会で継続審議となった「有事関連三法案」(武力攻撃事態法、自衛隊法「改正」法、安全保障会議設置法)を一部「修正」して提出し、その成立を目指しています。
 先の国会審議の中でも明らかになったように、「有事関連三法案」は、日本の自衛隊の海外での武力行使に初めて道を開くものであり、アメリカなどが行う戦争に武力行使を伴う形で、より積極的に加担していく大きな危険性を持っています。
 また、内閣が「有事」と判断すれば、内閣総理大臣に権限が集中され、国はもちろんのこと、地方公共団体や指定公共機関に指示することができるようになるとともに、私たち国民に対しても協力義務と「罰則」を伴い、自衛隊や米軍のために土地や建物の「使用」や医療・輸送などへの「業務従事命令」が出せるようになるなど、戦争加担のために、個人の自由や基本的人権を抑制し国民を強制動員させる大変な内容も含まれています。
 さらに法案では、「地方公共団体は、必要な措置を実施する責務を有する」とされ、内閣総理大臣は「措置」が実施されない場合や必要と認める場合、地方自治体を「指揮」し、「代執行」することができるなど、地方自治を否定する条文も含んでいます。地方自治体や自治体労働者は、戦争協力体制に組み込まれ、住民の財産を取り上げる「公用令書」の交付など、住民を戦争に協力させていく業務を担わされるばかりか、医療や土木、運輸などの仕事に従事する職員が戦争業務に駆り出されます。
 こうした「有事法制」の危険性や問題点に対して、日本弁護士連合会が「国家総動員体制への道を開く重大な危険性を有するものである」と反対決議を行なったのをはじめ、日本ペンクラブや日本民間放送連盟など、多くの団体が「有事関連三法案」反対の立場を表明しています。
 地方自治体でも三重県議会をはじめとする六県を含む全国の500を越える地方自治体(7月末現在536自治体)が、「法案」に対して反対や慎重審議を求める決議や意見書を採択しています。埼玉県内でも土屋知事をはじめとして、上尾、川越、坂戸などの首長が「法案」への疑問や反対を表明しています。
 私たちは5月に「有事関連三法案」反対のホームページを立ち上げました。ここに寄せられた多くの意見は「有事関連三法案」に危惧の念を表しています。特筆されることは、若い人たちがこの「法案」に対し、関心を寄せ、懸念を表明していることです。
 私たちは、貴議会が憲法や地方自治法にも矛盾し、国民を戦争に巻き込む大きな危険性や問題点が指摘されている「有事関連三法案」について政府がその立法化を断念するよう、政府及び関係機関にたいして意見書を提出されるよう陳情いたします。

陳情項目
 一、「有事関連三法案」(武力攻撃事態法、自衛隊法「改正」法、安全保障会議設置法)の成立を断念し、立法化をやめるよう政府に意見書を提出すること。


2002年11月26日
蕨市議会議長
   堀川 利雄 様
陳情者 住 所 蕨市中央5丁目4番9号 
団体名 有事法制に反対するわらび市民有志の会 
代表者 小宮 泰則 印




2002年11月22日〜24日

日本平和大会に参加しました。

23日のヘリ基地フィールドワーク
フィルドワーク前の学習会@ 付近ビルからの基地全景A 屋上から基地を見る参加者B
ヘリ基地」正面ゲートC 正面ゲートに見られた「警告」板D 公園が返されないままの階段E

1986年以来開かれているこの大会は、戦争への動きに反対し、深刻な基地被害をなくすために運動を広げ、こうした動きの根っこの日米軍事同盟(日米安保条約)をなくす世論を広げる大会で今年は首都・東京で11月21日〜24日まで開催されました。
首都・東京のど真ん中に米軍基地があった。
平和大会・本大会の2日目首都・東京のそれも繁華街の港区麻布(六本木)にある米軍ヘリポート基地のフィルドワークに参加しました。「こんなところに『基地』があるの?」と思われる場所にありました。住宅街と繁華街の間に。ここに柵で囲まれ「この先は進入禁止・入るとアメリカの法律によって罰します。」と日本の国であるはずなのに「アメリカ」が存在します。フィルドワークの参加者は一応にビックリ。私も色々な「基地」アチコチで見てきたが「こんなところにも!」とア然としました。
この基地は「横田基地などの連絡業務」が主な任務の「基地」で、敗戦後米軍が接収しその後全面返還が決まっていた「基地」でした。しかし3分の2を返還したあと居座り続けている「基地」です。それどころか驚いたことに東京都が基地の下に道路建設をしたとき代替地として提供した隣接地の公園敷地をいまだに返還せずそのままの状態で現在に至っています。「米軍」が約束すら守らず、日本の主権を脅かしています。公園と「基地」の間にコンクリート製の階段がありましたが途中で階段は「基地」の塀に阻まれ、通行者は手すりをまたがなくてはなりませんE。この先の塀には約束不履行の「工事期間中だけ」の協定を無視して返還に応じない公園敷地が「基地」となっており、付近住民はご多分に漏れずヘリ騒音被害の「被害者」です。「公園用地を返して欲しい」と願うのは当然のことです。こんな無法が許されていいわけはありません。

 国会で審議中の「有事法制」法案と重ね合わせ考えて見ました。「有事法制」の中にも「国民の義務」として、政府が「土地や建物」などを勝手に「接収」できることが謳われています。もし「有事法制」が通ったら…、背筋が寒くなります。「安保条約」を早い時期に廃棄し安全で住みよい社会を作るために、また、アメリカが行なう戦争に巻き込まれないように「有事法制」反対の声を一段と大きくするために奮闘しようとあらためて感じさせられた「麻布米軍ヘリ基地フィルドワーク」でした。Y.K 記

最終日の閉会総会
当日のスナップです。




2002年11月17日

あおぞらのまつり「未来チャット2002」が開催されました。

当日の「チャット」スナップです。
各写真をクリックすると別ウインドウで拡大します。
  
埼玉県と蕨市の1945年(昭和20年)当時の空襲被害の実相です。
「あおぞら」にはチョットほど遠い天気でしたが、会場となっている蕨市内下蕨公園はオープニング前から来場者で大にぎわい。「南町太鼓」がオープニングを告げ、「チョット曇り空ですが…世の中医療制度の改悪、年金制度の改悪、有事法制などなど厳しい状況ではありますが今日一日を平和を守るつどいとして交流を楽しんでください」と門脇実行委員長が開会宣言。
3年前に「女性の手作り」で始まったこの催しも市民の間に定着をした感がありました。今年は発展的に考え、「市民各層に運動を広げる」と実行委員会に女性に限らず団体・個人の「平和大好きサン集合」と幅広い運動にしようとのことで男性陣も大奮闘。会場内にはそれぞれ趣向をこらした団体・個人の出店「焼きそば」あり「取り立て野菜」あり「ケーキ」あり「子どもとアソボー」コーナーでは教職員組合の方々が、「なんでも相談」コーナーでは「年金生活の悩み」などなど丁寧にお答えしていました。埼玉土建の「包丁研ぎ」は毎回好評。平和コーナーでは「平和のパネル」展示、ここでも「蕨空襲」は「え!こんなことあったの!」と市民に再認識。「有事法制NO!」のインターネットを公開。骨密度の測定や体脂肪の測定などの「健康コーナー」。ステージでは若者の「フォークソング」、「フラダンス」会場内ではアチコチで腰をふりふり踊っている姿が見受けられました。午後2時前それぞれの出店も完売続出チョット寒くなってきたこともあって予定を30分切り上げ終了いたしました。
「有事法制に反対する市民有志の会」・「平和を守る会」もこの実行委員会に参加し「パネル」を展示し「戦争への道を進むのか、それとも平和を継続させるのか」…「有事法制三法案」を必ず廃案にさせましょうと実行委員会の好意で挨拶と訴えをさせていただきました。実行委員会では「あまり良い気象条件に係わらず400人の市民が訪れていただきました。」とコメントしていました。




2002年11月9日

映画「二十四の瞳」の上映会が開催されました。

ゴメンナサイ。写真はありません。
10月23日の雨で流れた映画「二十四の瞳」の上映会が開催されました。屋外とはいかず東公民館での開催でした。
「カルチャーショックわらび」では塚越地区での上映は今回初めての上映会ですが、地域に文化を広めるためにもこのような催しを市内のあらゆる地域で開催したいと語っていました。




2002年11月9日

強風のなか戦争を語り継ぐ会が行われました。

当日のもようです。各写真をクリックすると別ウインドウで表示します。
10月24日順延された「戦争を語り継ぐ会」が開催されました。当日は「木枯らし2号」が吹きすさぶ「雨」に劣らず?の悪天候のなか行われましたが、実行委員会ではこのような催しを重ねていくことによって「平和」とはなにかを、市民に訴える機会を多く作ることの重要な時期だとの意見でした。
なにしろ「強風」のなか、展示したパネルやマイクが風で飛ばされ大変苦労しましたが「ヤッテよかった」と…
「市民公園」いっぱいに鳴り響くマイクを聞きつけ駆け寄って来た市民、「マンションでも聞けたわよ」と聴衆に加わってきた市民。「オイシイ?」すいとんをほおばりながら高橋さんの「オカリナ」演奏とトーク(コスタリカの話)に耳を傾けていました。「すいとん」は「お変わり」の声が飛んでいました。いっしょに会場内に展示したパネルも好評で、特に「蕨」の空襲「パネル」は質問が多く寄せられました。(そう!15年戦争で蕨市内にも空襲があったのだ!)



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