アイコン 蕨市の紹介
   蕨市は、東京都心から約20km、埼玉県の南部に位置し、東は川口市、西は戸田市、南は川口市および戸田市、北は、さいたま市(旧浦和市)と接しています。地形は、ほとんどが海抜3〜6メートル前後の平坦地で、地質は川口低地と呼ばれる湿地帯です。
 市のほぼ中央をJR京浜東北線と国道17号線が縦断しており、東京都心へ約30分、旧大宮市へは約15分で結ばれ交通至便な立地環境にあります。
 まちの歴史は古く、江戸時代には中山道の板橋に続く第2番目の宿場町として栄えました。江戸時代末期から明治時代にかけて、綿織物(双子織)の生産中心地として名をはせ、全国から織物の買い継ぎ商が集まるようになりました。
 明治22年の町村制の実施に伴い、蕨宿と塚越村の合併により蕨町が誕生し、昭和34年には市制が施行され現在の蕨市が誕生しました。昭和30年から40年代前半にかけ、首都圏への近接性に加え、鉄道輸送力の強化や道路網の整備などにより、人口の急増をもたらし、急速に都市化が進みました。
 現在、5.10平方キロメートルの市域に約7万2千人が生活し、人口密度の高さ、市域の挟さはともに全国第1位ですが、各地域でのコミュニティ意識やまちづくりの関心も高く、人とまちが語り合い、生活を創造する都市をめざして、市民と行政が一体となって取り組んでいます。

アイコン 地名の由来
   わらび地名の由来は「蕨」説と、「藁火」がなまって蕨になったとする説が伝えられています。
 まず、「蕨」説は、近隣の戸田市や川口市にもある地名の青木、笹目、美女木などの植物にならって名付けたとか、憎慈鎮(じちん)の「武蔵野の草葉にまじるさわらびをげにむらさきの塵かとぞみる」の歌をもって「蕨」としたなどです。
 「藁火」説は、源義経が立ちのぼる煙を見て「藁火村」と名づけたとか、在原業平が藁をたいてもてなしをうけたところから「藁火」と命名したなどです。
 文献上、初めて「わらび」が見られるのは室町時代末ごろの鎌倉大草紙で、「蕨」と記されています。