タンゴ雑感



           [バイレ デ タンゴの事]


    このサークルが出来た当時は、日本のタンゴダンスも流行始めで、混沌としており、東京中(日本中)のサークルでステージダンスとサロンダンスの区別がつかないまま、ごった煮状態で踊られていました。

    それから20年以上が経ち、ドロドロだったタンゴダンスも段々上澄みと淀みに分かれて来ました。すなわちステージダンスとサロンダンスです。

    この傾向は今後益々特化して来るでしょう。社交ダンスがパーティーダンスと競技ダンスに2分したように、タンゴも見世物としてのステージダンスとパーティーで踊るサロンダンスに2分化して来るでしょう。

     このサークルは最初からサロンダンスを目指して、打ち合わせでしか踊れないステップは排除して来ましたが、今はハッキリ、サロンダンスに特化して教えています。

   
タンゴダンスの話をしましょうか。 2023・11・14
  
少しタンゴの話をしましょうか。タンゴの話をと言っても、私の話はダンスの事です。音楽に関してはめちゃ詳しい人が大勢居ますから、私の出る幕等在りません。何せ戦前からのファンで、私が生まれる前から聴いていた人達が居ますから、かなう訳ありません。
  ただダンスは良かったかも知れません。タンゴの前に社交ダンスを10年以上やっていて、そろそろ飽きて来た処へ、1987年「タンゴアルヘンティーノ」公演を観た時は衝撃でした。社交ダンスの人が何でタンゴをと思ったかも知れません。あの時は何でだか忘れちゃったけど、やたらテレビのバラエティー番組で宣伝していたのを覚えています。それで「ほ~」と思って観に行ったんですよ。何で「ほ~」と思ったのかと言うと、それまでアルゼンチンタンゴダンスと言えば、アメリカ・ハリウッドの映画の中で踊られているのがアルゼンチンタンゴダンスとばかり思っていました。多分世界中でそう思っていたと思います。それほど当時のハリウッド映画が世界を席巻していたんですね。
  「タンゴ・アルヘンティーノ」もパリ公演から始まったんですけど、ブロードウェイ公演で大ヒットしたお陰で、世界中公演して回って、最後に日本に来てそれで今日の日本でのブームが在る訳ですから、まあ世界中にブームを巻き起こす程、魅力が有ったという事ですけどね。

  タンゴダンスの歴史と言っても色々あって、これが正しい答えというのは難しいんですよ。きちんとした文献が残っている訳じゃないので。これにはタンゴダンスの歴史が関っていてアルゼンチンの政府自身がタンゴダンスを禁止した事があって、そのあとに又復活するのですが、その時に古い踊りをタンゴの歴史から抹殺、記録を殆ど廃棄してしまったんです。その後で新しい洗練されたダンスをアルゼンチンタンゴダンスとして、アルゼンチン政府が認定したのです。
 と言うとタンゴって音楽じゃないの?って言われそうですが、これも諸説ありますが、でもタンゴってワルツと同じに舞曲なんですよ。日本人はタンゴは聴く音楽だという考え方が強くて、これは戦争が大きく影響していて、当時アルゼンチンは中立国でした。連合軍の圧力で2次世界大戦に参戦したのは、もう末期になってからでした。ジャズやシャンソンは敵国音楽として禁止されていましたが、タンゴは友好国の音楽として、禁止されませんでした。ですので、戦時中に洋楽といえば「タンゴ」しか無かったのです。そして、ラジオから流れてくる音楽にダンスは無かったのです。一部の人達、詰まり直接アルゼンチンに行ったり南米に行った人以外は、タンゴダンスに触れるのは随分後になってから、詰まり「アルヘンティーノ」が来てからという事なんです。
  
  んでもって、タンゴダンスですけれども、これも生い立ちに諸説あって、大金持ちの使用人や港湾労働者がお屋敷の裏庭や広場で、フォークダンス紛いの踊りを踊って居る内に、ギターやアコーデオン、フルート等持ち運べる楽器を持ち寄り演奏した。これがミロンガの始まり。それを盗み見ていた金持ちが、自分の邸に呼び込みこっそり踊らせた。自分達も踊った。これがカンジェンゲの始まり。 
  もう1つは、酒場のホステスを取り合い殴り合いや殺し合いをやっていたギャングや港湾労働者達が喧嘩に明け暮れてていたとき、ある日1人の男が床にナイフを突き立てその回りを踊ってみせた。ズボンの裾がナイフに当たって切れ、ボロボロになった。「お前もやってみろ」。言われて怖気ずく者、やったはいいが、足を血だらけにした者。そしてよりボロボロにした者の勝ち。勝った男は娼婦を連れて2階に消えたり、ホステスと踊ったりした。詰まり女を手に入れた。これがミロンガの始まりであり、カンジェンゲの始まりであるとも言われております。
   所がその踊りが卑猥だというので時のアルゼンチン政府(1910~30年代の話)が踊りを禁止してしまった。しかし体に悪い食べ物ほど美味しい。禁止されればされる程、踊りたくなる。かくてカンジェンゲは地下に潜り、金持ちの豪邸の一室や娼婦の館等、人目に付かない処で踊られていった。そして野外から屋内に入る事によって、音楽も劇的に変化します。
  第一の変化はまだ屋外で踊って居た頃、牧師様が野外で説教をした後の讃美歌を唄う時の演奏の為に、パイプオルガンを持ち運び出来ないので、その替わりとしてバンドネオンを持ち込んだ事。バンドネオンは実はタンゴを演奏する為の物ではなく、ゴスペルソングを唄う為の伴奏楽器として、ヨーロッパのドイツから持ち込まれた楽器です。
  第2の変化は、踊りが屋内に入った事で、楽器を持ち運ばなくて良くなった。つまり据え置きの出来る楽器が使えるようになった。ピアノとコントラバスが加わって、音楽が劇的に変化した。音が重厚になり、今日のタンゴ音楽がほぼこれで出来上がった。

   そして金持ちは良く旅をする。ブエノスアイレスは大西洋に面した港町。旅と言えば船旅、行先は勿論ヨーロッパ。花の都フランスのパリ。当時最速の船で行っても2週間以上。暇を持て余した乗客達は船の中でカンジェンゲを踊った。それがヨーロッパで馬鹿受け、大流行となった。余りの過熱振りに、時のローマ法王が「ダンス禁止令」を出した程です。しかし当時のパリの社交界の洗練されたセンスに洗われて、お上品な踊りに生れ変ったタンゴは、ある時伝説のダンサー「エルカチャフス御夫妻」と言いましたかね、タンゴダンサーだった彼らが「タンゴが卑猥な踊りかどうか、1度私達の踊りを観て下さい」とローマ教皇の前で、洗練されたタンゴダンスを踊って見せた。それを見てローマ教皇が「これは別に卑猥な踊りではない」とタンゴを踊る事を解禁したんです。そして爆発的にヨーロッパ中に広まったんです。
  その同じ時期に日本の目賀田男爵がヨーロッパを旅行中に、パリに立ち寄り、ダンスを習ってというより、パリ社交界に入り浸って覚えたダンスを日本に持ち帰った。目賀田タンゴと呼ばれて、未だに目賀田クラブというのが在って、踊り継がれているそうです。

  そして、ヨーロッパで解禁されたタンゴダンスは逆輸入という形で、アルゼンチンに戻って来たんですが、アルゼンチンだけじゃなく、アメリカにも上陸したんですね。それも映画全盛のハリウッドへ。当時映画はサイレントからトーキーへの変換期で悲劇から喜劇まで、ミュージカル擬きで溢れていた。そして出会ったのが世紀の2枚目「ルドルフ・バレンティノ」。彼の擬きダンスが、映画と共に世界中に広まった。あの頬を付けあい同じ方向を向いて手を伸ばす。タンゴアメリカーナの前身とも言えるあのポーズ。映画と共に広まったあのダンスが「アルゼンチンタンゴダンス」だと思っていた。「タンゴ・アルヘンティーノ」が来るまでは。

  「タンゴ・アルヘンティーノ」を観て衝撃を受け、そのままグローリア&エドアルドに付いてアルゼンチンまでダンスを習いに行ってしまった人がいました。1987年位の事です。それが「現アルゼンチンタンゴダンス協会」を作り,後に「アジアタンゴダンス選手権」という競技会まで作ってしまった故小林太平氏と江口裕子氏です。彼ら無くして日本のタンゴダンスの隆盛は無かったか、在っても10年以上は遅れたでしょう。
  彼は本当のミロンゲーロの踊りは日本人には合わないと、彼独自のちょっと離れたアブラッソ(今では当たり前になった)を考え出しました。これが大当たり。今では普通に組んでいる組み方ですが、当時は画期的で、ハグの習慣のない日本人に受け入れられ、世界的なタンゴダンスの流行と相まって、今日の日本のタンゴダンスブームの礎を築いたのです。その後は皆さんの知っている通り。

   この意見には異議を唱える人も居るでしょう。しかし、1987年~1990年の時代の話です。今はアルゼンチンから大勢の先生達が教えに来ていますが、習う生徒が居なければ誰も来ません。あなた方の先生の先生も居なかったかも知れません。辛うじて「カルロス・リバローラ氏」や「川島ミキさん」が居た程度です。私がブエノスアイレスに行った1992年、町では「水曜会」のタンゴツアーで来ていた人以外日本人は見ませんでした。そんな時代の話です。

  



        
           
 やっぱりタンゴは凄い

  
タンゴはやっぱり凄いな。最近のユーチューブを見ていると、次々と新しいステップを生み出して、新しいタンゴダンスを作り出している。使う音楽もタンゴのみならず、ラテン音楽でも踊っている。私もファドやシャンソンで踊ったが、ラテン音楽の発想はなかった。やはり民族の血というか、タンゴもラテンの1種だと思った。

   音楽の分野でもヌエボとか称し次々と(昔からのタンゴファンはあんなのはタンゴではないと言うだろうが)新しいタンゴを生み出している。ハッキリこの展開は私は読めなかった。その踊りにリフトなどない。カミナンドとヒーロという超スタンダード(これは私も書いた。昔に戻ると)なステップだけで、まったく新しい踊りを生み出している。

    若者の感性は想像以上だ。これから踊りも音楽もどんな発展変化を見せるのか?非常に楽しみだ。私も惚けていられない。益々迷走、迷宮へと迷い込んで行くのか?

 




          タンゴ・ヌエボとは。

    最近「タンゴ・ヌエボ」と言う言葉を耳にするが、ユーチューブを見る限り、音楽はタンゴではなく、かと言って踊りは遂この間までの、リフトをしたり、振り回したりではなく、タンゴの基本に戻っている。何とも不思議な現象だ。私も遂この間まで、ポルトガルの、「ファド」で踊ったり、フランスの「シャンソン」で踊ったりしていた。まあ、今の若い人達はタンゴの概念に囚われず、自由な現代タンゴとも言うべきものを必死に作り出しているのだろう?音楽が先行したタンゴは、今、踊りが追いつき、今後、音楽と踊りが、又融合するだろう。それまで生きて居るのかな?どうなるのか?生きて居る内に是非とも知りたい。

   今は世界中で、タンゴが迷走しているのだろう。タンゴとは何か?後何年かすれば、落ち着く処に落ち着く。それは多分王道だろう。競技会はなくならないかも知れないが、ミロンガとは完全に分離した見世物になっていくのだろう。






        [アルゼンチンタンゴダンスの在り方]

    

   最近ユーチューブでアルゼンチンタンゴを良く見ているのだが、以前私が指摘した、柔道がジュードーになったように、アルゼンチンタンゴも競技会を始めた途端、アルゼンチンともコンチネンタルともつかない、ハイブリッド進化と言えば聞こえはいいが、早い話が雑種、要するにタンゴという新分野の踊りであって、アルゼンチンタンゴでは無くなっている。アルゼンチン人が「自分達のミロンガで踊るな」と言うのが良く判る。


  最近パーティーダンスがサロンスタイルからミロンゲーロスタイルに戻りつつあるという話を聞いた。流石タンゴの力!タンゴダンスは単なる娯楽ではない。競技会のように勝ち負けを競うものでもない。タンゴは癒し。タンゴはセラピーなのだ。それが判っているから、アルゼンチン人は頑なにミロンガを分けてでも自分達のタンゴを守ろうとしている。そして世界中のタンゴファンがそれに気付き始めている。気付かないのはタンゴを音楽の1分野、踊りの1種としか捉えていない、プロ・アマの一部音楽家やダンサー達だ。

  




  最近思うのだが、一口にタンゴと言っているけれど、実は踊りには音楽のリズムの違いによって、「ミロンガ」「カンジェンゲ」「タンゴワルツ」そして「タンゴ」と4種類の踊りがあります。これは古い新しいという事よりも、リズムの違いです。

   私は社交ダンスの教師でもあるので、社交ダンスで言うと、音楽を聴くだけの人達は10把1絡げにダンス音楽で片付けるが、踊る人達はそのリズムの違いによって「ブルース」「ワルツ」「タンゴ」「クイックステップ」「スローフォックストロット」「ウィンナワルツ」「キューバンルンバ」「チャチャチャ」「サンバ」「パソドブレ」「ジャイブ」と様々な踊りに分けて踊っています。

   それはイギリスのダンス教師達がボールルームダンスを世界に広めようと研究し、整理し、教科書を作ってから布教した為そうなったのだが。

   それとは違い、アルゼンチンタンゴは自然発生的に世界に広まってしまったので、踊りの区別もされていないし教科書もないと言った具合で、まあこれはアングロサクソンとラテンという民族の違いという事もあるのだろうが、元々世界に広めよう等とは思わず、自分達の趣味で踊っていたものが勝手に世界に流れ出て行ってしまったので、1番戸惑っているのはアルゼンチン人自身だろう。


   
     ついでに言わせて貰えば、もうタンゴはアルゼンチンのダンスではなく世界のタンゴと言うべきなのかも。つまりはもうアルゼンチンタンゴダンスではなく、アメリカンタンゴの色合いが強い。
    社交ダンスでもカレン&マーカス・ヒルトンまでのイングリッシュスタイルが衰退し、ワールドスタイルといえば聞こえがいいが、アメリカンスタイルが世界を席巻している。ボールルームは100年以上に渡ってイングリッシュスタイルを守り続けたが、タンゴは僅か5年そこそこでアメリカにタンゴを渡してしまった。

   昔の諺、遊びにルールを作ってスポーツにするのがイギリス人。スポーツをビジネスに変えるのがアメリカ人。タンゴもアメリカに渡れば趣味ではなく単なる商売。

    しかし、パリから始まった「タンゴ アルヘンティーノ」がパリではなくブロードウェイで大成功を収めた途端世界中に広まった。

   今までアルゼンチンにとってタンゴは国の一大産業だった。何もしなくても向こうから大金がやって来た。今は違う。金もダンサーもバンドも皆アメリカに流れている。

  最近タンゴを習った人達は知らないだろうけれど「タンゴ アルヘンティーノ」にリフトなど無かった。今のタンゴは「よさこいソーラン」と同じ、現代流にアレンジした亜流タンゴです。私の知人が数年前にブエノスに行った時、観光客が踊るミロンガと地元民が踊るミロンガが分かれていて、せっかくブエノスまで行ったのに、地元のミロンゲーロ・ミロンゲーラとは踊れなかったそうです。結局観光客のヨーロッパ人としか踊れなかったと言っていました。

    タンゴは日本の盆踊りと同じ、文化なのです。それを理解していない輩がタンゴは進化したとアホな事を言っているのです。
   
   何が言いたいのか?本当のタンゴとは何か?社交ダンスとは何か?アルゼンチンタンゴも社交ダンスも他人に見せびらかすものではなく、2人が楽しければそれで良い。それが社交としてのダンス。ボールルームの基本はイングリッシュ、タンゴの基本はアルゼンチン。アメリカンではない。

    とはいえ本場アルゼンチンで本物のタンゴが踊れないとあっては、もはやDVDしかないんだろうか?